今日は写真にうつるお稽古でした。
『なにこのブサイク』
『自分にがっかり』
『自撮りは落ち武者』
『(自分の顔写真をみて)これなに?』
今日の、撮影会の最初にお話を聞いた時に
みなさんが自分に対して、言い放った暴言。
他人にすら面と向かって言わないような暴言を
女性は、自分に簡単に言ってしまうのです。
それはもう、呪いのように。
何度も何度も唱える。
わたし自身が、写真が大嫌いで
コンプレックス過多な人間なので
とっても気持ちがわかるし
ついおもしろおかしく言ってしまうのもわかる。
今でも、うっかりやっちゃう時もある。
でも、
あとで落ち着いて振り返った時
自虐ネタってだれもしあわせにならないなと思った。
思ったし、
かなしくもなった。
それに、自分だって
傷ついてると思うよ。
麻痺しきっている人がたくさんいるんだけどね。
そんなもんに、本来麻痺してはいけない。
HANANINGENをやっていたときもそう。
撮影した写真を見て
平気で人は「うわ、見てられへん」
「ひどい」「ぶさいく」「老化が」
って言うんです。
他人がいくら褒めたとしても、一切届かない。
自分の外見を細切れにして見て
粗探しをする。
わたしはそのたびに、ものすごく心を痛めていた。
ねぇ、それって、なんのためにやるんだろう?
見てられへんほどブサイクな
その顔で
四六時中生きていることを
忘れてはならない。
そんな自分で、
果たしてしあわせになれるのかな。
他人に言われる前の自衛?
自分でいうなら、ダメージは少ないのか?
そんなことないよね。
「これはきれい」
「これはぶす」
どちらも、
世の中の誰かがきめた基準で。
そういうものに惑わされて
ほかと比較して
自分の評価を下げながら生きていくのか
それとも
この世に一人しかいない
自分だけの、
たくさんの魅力をさがして生きていくのか
どっちがいいですか?
ということを
写真を使って
自分やひとに問いかけているのかも。
写真の使い方として
「現在地を知る」という使い方があります。
たとえいまは、
理想の自分像じゃないかもしれない。
それがどうしても受け入れられない。
だったとして、
死ぬ気で改善しようとしたことは、あるのか。
変われない人は、
慣れ親しんだコンフォートゾーンから飛び出す覚悟がないだけ。
それでほんとに、いいのかい?
とりあえず、
今日から自分に暴言を吐くのを
やめてみよう。😊
覚悟した人から変わる。
気持ちだけで外見も一瞬で変わる。
高いと思っていたその壁を
わたしがいっしょに破壊してやるぜ。
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