わたしは、自分のことがちょー好きなんですけど
「ちょー好きです!」って世間的に堂々と言える条件が
自分に完ぺきに揃っていないので、
好きじゃないんです。って顔をして生きています。
完璧主義なので
完璧な自分の理想の姿以外は受け入れ難い。
人生の難易度勝手にあげちゃうタイプです。
何をしてるんだろうと、ほんと思います。
さて、そんなわたしが今やっている
「煩悩先撮りプロジェクト108」
108人の女性を、煩悩ごと撮影しまっせ!というプロジェクトです。
現在東京は満席になりまして、推している京都での撮影がまだ空きがあります。
それにお申し込みくださった方のメッセージでこういうのがありました。
「100%自分を好きになりたいです。」
こうやって言えるって、素敵じゃないですか。
わたしには、猛烈に響きました。
なぜなら、正直、
わたしは自分を100%好きになるなんて
考えたこともなかったからです。
というと語弊があるかもしれませんが
とにかく、わたしには自分の嫌いなところがいっぱいありすぎるので、
100%自分を好きな状態ってなんだ、って
ちょっと考えちゃったんです。
100%好きな自分って、なんだって
鼻息荒く考えてます、今。
完璧主義であるわたしは
自分の中での100%の自分でいたいと
今まであれこれやってきたんですけど
70%の自分を好きになる、許す方が人生早い・楽・やさしいと
最近思い始めたんです。
100%を求めない。
70%、80%で満足してしまえる自分って
優しくないですか?
そんな自分すら愛せちゃう、許せちゃう自分って、100%を超えると思うんです。
超えるというか、それが100%自分をすきになることなのかな、と。
100%自分を好きになるって
とても美しいけれど
すこし苦しい気がするんです。
それ以外だと、存在価値はどうなるの?って。
98%だと残り2%あるとダメなの?って。
メッセージをくれた方は
そういう意味で言ったわけではないと思いますが。
わたしは完璧な自分をただただ求めるタイプでした。
でも、そうなれない自分に苦しんでた。
そして、完ぺきであることと、幸せは関係がないと知った。
そんなわたしが
彼女の撮影を通して
何を思うのか。
興味津々です。
不思議なもので
どこまでも美意識を研ぎ澄ませたい自分と
頑張りすぎている自分に厳しすぎる女性たちの肩揉みくらいできる存在でありたい自分が
いつも一緒にいます。
これは、わたしがわたし、秋月雅だから感じることなんだと思います。
100%自分を好きになるって
つまり
自分の完璧じゃないところも
好きになる、ゆるすってことなのかなぁ〜。
そんなこんなで
やっぱり
自分の写真を撮って
自分を見つめるって
ものすごく意味のあることだと思いました!
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